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リレーコラム データサイエンスの新地平
~オルタナティブデータ活用最前線~
第9回 世界のトップヘッジファンドが注目する

ESG投資用データとしての社員クチコミとは

2022年8月22日
木村友香 / オープンワーク株式会社  社長室

「オルタナティブデータ」と呼ばれる非伝統的な情報を用いた資産運用の最新動向について、認知拡大や業界ルール整備などの活動を展開する、オルタナティブデータ推進協議会(JADAA)関係者によるリレーコラム。

第9回は、「社員口コミ」に代表される企業の人材データをESG投資に応用する可能性について、オープンワーク株式会社社長室の木村友香氏に解説いただいた。

第8回「『TVメタデータ』によって可能になるトレンド・シグナルの可視化」はこちら

持続可能的な企業成長と人的資本経営に向けた
人材データ活用の必要性

従来の企業評価では、財務指標などの定量情報が広く利用される反面、「組織文化」や「従業員の満足度」などの人的資本データはほとんど活用されてきませんでした。しかし近年では、新型コロナウイルスやロシアによるウクライナ侵攻などの影響によって先を見通すことが難しいVUCA時代が到来しており、企業評価や投資の新しい判断材料として一般公開されていない代替情報、オルタナティブデータの活用が進んでいます。

筆者の勤める就職・転職プラットフォームのOpenWork2007年に創業以来、1300万件以上の社員クチコミや企業評価スコア、残業時間、有休消化率を含むデータを蓄積してきました。そしてOpenWorkのデータも組織力や経営力を測定する指標として、国内の研究機関や海外のヘッジファンドに活用されています。経済産業省が公表した「人材版伊藤レポート」が強調する通り、長期的な企業価値の向上には組織や人への投資が不可欠であり、これらのデータをいかに活用できるかが鍵を握っていると考えられます。

海外ではすでに従業員の企業評価情報と企業業績の関連性を証明した研究が進んでいますが、OpenWorkでも自社データを活用した研究を行っています。本稿ではOpenWorkのデータが金融機関から注目されるきっかけともなった研究についてご紹介します。

今回紹介する研究は、2018年度に証券アナリストジャーナル賞を受賞した『従業員口コミを用いた企業の組織文化と業績パフォーマンスとの関係』(西家宏典氏、津田博史氏)と2021年に発表された『従業員口コミを用いた働きがいと働きやすさの企業業績との関係』(西家宏典氏、長尾智晴氏)の2つの論文が原案となっています。

スコア生成方法

本研究ではOpenWorkに投稿されている社員クチコミの中から、以下4つのカテゴリーに投稿された上場企業のクチコミデータをもとに、テキストマイニング・AIによって3つのスコアを生成しました。

・「組織体制・企業文化」組織文化スコア
・「働きがい・成長」働きがいスコア
・「ワークライフバランス」「女性の働きやすさ」働きやすさスコア

これらのスコアと企業業績や株価との関係性を分析した結果、組織状態や従業員の働きがい・働きやすさを大きく改善している企業は、将来のパフォーマンスにプラスの影響を及ぼす可能性が高いということを示した研究内容となっています。

 組織文化や働きがい、働きやすさは抽象度が高く主観が大きく影響するため、スコア化は容易ではありません。テキストのクチコミ文章から各スコアを定量化するため、まずはAI用の学習データをつくります。投稿者ごとのクチコミを句点で分割し、文章単位の情報に変換した上で、その文章が各スコアにとってポジティブ、ネガティブ、またはニュートラルであったかを複数人で読み込み、フラグを付与する非常に地道な作業から始まります。これらを学習データとしてAIに学ばせることで、数十万件にも及ぶクチコミデータを自動で分析することが可能になります。さらに、会社単位でポジティブ確率を付与し、定量化したものがスコアとなります。

企業の競争力を左右する組織文化

 まずは組織文化スコアと業績や株価との関係性を調査するため、算出したスコアをベースに対象企業の前年の組織状態を「悪い」「中間」「良い」の3段階に、さらに一年後の組織文化スコアの改善度合いで「悪化」「維持」「改善」の3段階に分けました。都合、3✕3の計9種類に企業を分類することができます。この区分をもとに分析した結果、特に売上変化率と負債比率について強い相関が見られました。

前年のスコアが悪く、さらに改善度合いが悪化した企業の売上高変化率は統計的に有意に負となり、将来の企業成長の阻害要因になっていることが示されました。また、これらの企業群においては負債比率の増加幅が大きくなる傾向にあり、組織文化の悪化が将来の財務的なリスクにつながっていることがわかります。なお、業績悪化企業の共通ワードとして「体質」「古い」「年功序列」などのワードが目立ちました。

次に、株価との関係性の結果について紹介します。スコアの改善幅に応じて企業を順にRV05からRV01の5つのグループに分け、そのグループごとの株価の推移を表したのが、下図になります。各グループのポートフォリオは、毎年8月末時点のスコアの年次変化率を用いて構築し、その後1年間バリュー・ウェイトで保有し、2010年〜2017年まで月次ベースで運用したものです。

(出所)『従業員口コミを用いた企業の組織文化と業績パフォーマンスとの関係』(西家宏典氏、津田博史氏)の論文より引用

グラフを見ると、スコアが低い企業群のRV01とスコアの高い企業群のRV05の差は時間を経るごとに広がっています。また、RV05RV01のロングショート・ポートフォリオではアルファが統計的に有意となり正の超過リターンが観測され、年次スコアの改善幅の低い企業群では、統計的に有意な大きな負の超過リターンが出ていました。すなわち、組織状態が大きく悪化している企業は、将来の株価パフォーマンスにも悪影響を及ぼす可能性が高いということが示されています。

働きがい・働きやすさと企業価値向上の好循環を生む

続いて、働きがいスコアと働きやすさスコアが企業の業績や株価とどのような関係性があるのかを見ていきます。人材に関連したサービスを提供するHR(Human Resource)業界では働きがいがあるから業績が上がったのか、業績が上がっている状況だから働きがいがあるのか、鶏と卵のどちらが先かという議論がされることがあります。本研究ではこの因果関係について、相互に影響があることが示されており、企業成長においては業績と働きがいの双方が必要だとわかりました。

まずは各スコアと業績の関係について見てみると、働きがいスコアが改善されることにより、3年後の売上高変化率・売上原価変化率に対して統計的にプラスに寄与するという結果が出ました。これは、働きがいの上昇はその後の企業成長の要因になっていることが考えられます。また働きやすさスコアが改善されると、23年後の売上高営業利益率にプラスの影響があり、働きやすさの改善が退職率の低下や採用力の強化につながり、人件費が抑えられていると考えられます。

当研究では業績が働きやすさに与える影響は現れなかった一方、ROEやサステイナブル成長率が改善すると、12年後の働きがいに対して統計的にプラスに寄与することも示されました。サステイナブル成長率は、企業の利益がどの程度内部投資に回るのかと捉えることができるので、内部投資が新規事業をはじめとしたさまざまな施策に投下されることで従業員の働きがいにつながっている可能性があります。

また、働きがいスコアと働きやすさの両スコアが同時に改善すると、912カ月後に統計的に有意なアルファが出ていました。働きがいスコア単体でみると04カ月後の株価に影響がありましたが、働きやすさスコアの変化のみでは株価への影響はありませんでした。厚生労働省による働きやすさの定義は「働く苦労や障壁が小さい」とされていますが、働きやすさだけ改善しても「ゆるい環境」を作ってしまっている可能性があり、結果的に労働生産性が向上しないのは納得感があるのではないでしょうか。

さいごに

世界的潮流であるESGの加速や人的資本経営の注目により、今後ますます人材・従業員データの活用が求められていくと考えます。OpenWorkでは、金融機関に向けて社員クチコミやこの記事でご紹介したスコアをインデックスとして提供しています。データ活用に興味がある方はぜひお気軽にお問い合わせください。

木村友香

オープンワーク株式会社  社長室

総合商社にて穀物トレーディングを担当後、駐在先のシンガポールで事業会社管理の経験。2021年よりオープンワーク株式会社でワーキングデータを活用した新規事業の立ち上げに従事。働きがいのある日本企業を増やすというミッションのもと、海外の大手ヘッジファンド向けに同社のESGデータの営業活動や、組織改善に向けたデータ活用について取り組んでいる。

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