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連載
サステナブルファイナンス論壇ウォッチ 第3回
社会課題解決型スタートアップの台頭に、日本のインベストメントチェーンは十分に貢献できているか

2022年3月3日
井潟 正彦 / 立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科客員教授

日本のインベストメントチェーンに今鳴り響く
45年前のドラッカー氏の警鐘

ところで、日本における社会課題解決型スタートアップのさらなる興隆に向けては、こうした新たな資金調達手段の進展にも大いに期待したいが、そもそも日本の従来からのインベストメントチェーンが本来スタートアップに対して果たすべき資金供給機能を十分に発揮していないという根本的な課題が未だ十分に解消されておらず、その取り組みこそが急務だということは再確認したい。

例えば、金融審議会「市場制度ワーキング・グループ」では、金融庁の事務局から「2019年時点の米国のVC投資額は日本の約52倍と大きな開きがある」こと、その大きな要因の1つには「VCへの投資家の属性を比較すると、米国のVCでは、年金基金等の機関投資家で過半を占める一方、日本のVCでは、機関投資家(金融法人を除く)からの投資が極めて少ない」ことが各々データと共に報告されている *2。その上で、日本のインベストメントチェーンの主な課題の1つとして、「国内機関投資家」について「欧米では年金基金等の機関投資家が非上場株式等に積極的に投資しているが、日本の機関投資家による非上場株式等への投資は限定的」で、「日本の機関投資家によるVC・PE等を通じた国内の非上場企業に対する資金供給を円滑にするにはどうすればよいか」との問題意識が提示されている*3*4*5 。

*2:第3回2020年11月13日(https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/siryou/20201113/01.pdf)及び、第15回2022年2月17日(https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/siryou/20220217/01.pdf)でも2020年のデータを示して同様の指摘を行っている。
*4:同ワーキング・グル—プの委員からも例えば、次のような意見が出されている:
「1つは、海外では資金の供給者として、VC、PEというカテゴリーが完全に確立していると。その立場やパフォーマンスによる評価も確立されていて、実績の高いファンドに対しては、低金利の環境にもありますので、年金基金なども先ほどございました通り活発に参加をして、投資活動も大変活発に展開しているというのを、私どもも目の当たりにしてきております。」
(第3回2020年11月13日、松岡直美委員、
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/gijiroku/20201113.html

「スタートアップ企業への投資も含めて、機関投資家によるこういった分野における投資が活発化することが期待されるとともに、そのような投資が可能になるように、先ほど述べたような日本の特徴が何によって生じているのか、その原因の分析を進め、改めるべき制度上の問題点や慣行があるのでしたらそれについて見直しを検討する必要があると思います。」
(第12回2021年10月15日、神作裕之委員、
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/gijiroku/20211015.html

「それから資料の討議事項に2点目の企業の資金ニーズとの関係でございますけれども、前事務年度のワーキング・グループでも同じようなことを申し上げたと思いますが、優先順位としては年金等の機関投資家によるスタートアップ企業への資金供給をどうやって拡大していくか、ここを中心に検討を進めていくべきだと強く思っております。」
(第12回2021年10月15日、有吉尚哉委員、
https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/market-system/gijiroku/20211015.html
*5:なお、同ワーキンググループは引き続き「成長・事業再生資金の円滑な供給」をテーマに議論を重ねている。第15回2022年2月17日の事務局説明資料によると、大きな問題意識として「非上場企業への成長・事業再生資金の円滑な供給」と「企業の成長に資する上場の促進」を掲げ、前者については「アセットオーナー等による資金供給の拡大」と「多様な金融仲介機能の発揮」に絡めて、後者については「IPOプロセスのあり方」、「上場を含むエグジット」に絡めて重要な論点を選び、深掘りしている。



同ワーキング・グループに参考人として招聘されたユニゾンキャピタルのパートナー、山本修氏が、日本の年金基金の運用資産に占める未公開株式の資産総額を推計し、「総額400兆円に上る年金基金資産全体における未公開株式を含むオルタナティブ投資へのアセット・アロケーションは1%程度の水準にとどまっており、この部分が2桁のアセット・アロケーションであるということが標準的なグローバルな先進的なアセット・オーナー(年金運用者)との運用能力の格差は広がっている状況」と発表しているが*6、大変興味深い。もし日本の年金基金が未公開株式へのアセット・アロケーションをグローバルな水準に向けて数パーセントでも増やすと想定できれば、兆円単位の骨太の資金供給がプライベート・エクイティ(PE)とVCに期待できることが判る(因みに、日本ベンチャーキャピタル協会が2021年9月に公表した「ベンチャーキャピタル最新動向レポート(2020年度)」によると、2020年における日本のVCのファンドレイズ総額、および年間国内投資金額は、各々3,822億円、1,512億円にしか過ぎない)。

なお、この点について、日本経済新聞2021年8月19日付の「大機小機(ドラッカーの警鐘とIPO問題)」で、執筆者の赤金氏(ペンネーム)は、2020年に米国が日本の100倍を超えるVC投資を実現できている背景について非常に示唆に富む指摘を行っている。

 

  • 著名な経営学者であるピーター・ドラッカー氏が1976年、自著「見えざる革命」で、年金基金がベンチャー投資を一定額行うべきだと提唱*7
  • ドラッカー氏は当時衰退にあった米国産業に代わる新産業を見出す未来への投資の担い手として、大きく資金規模を拡大する年金基金に注目
  • 米国はドラッカー氏によるこの提唱に忠実に取り組み、産業・事業の新陳代謝を促進する役目を担うVCに年金基金から資金を流し続けたからこそ、GAFAに代表される活力を実現

 

赤金氏は、日米のVC投資には「こうした圧倒的な規模の差が数十年にわたり積み重なってきた」と述べつつも、「45年前のドラッカー氏の警鐘は今の日本にこそ重く響く」ものであり、「今の日本に重要なのは、次の主役を育む大きな舞台装置を全体で回す発想だ」とし、「資金のパイプをもっと太くする」ことなどを「すぐ始めねばならない」と唱える。日本の資本市場関係者にとってこれほど傾聴に値するメッセージはないであろう。

*7:「 [新訳]見えざる革命−年金が経済を支配する−」(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社、1996年)の84頁に以下の記述がある。「いまや、企業家的な投資機関(筆者注 ドラッカー氏はベンチャーキャピタルのことを指している)を体系的に設立していく必要がある。アメリカの経済がそれを必要としており、年金基金という新しい資本市場がそれを必要としている。 ここにおいてまず必要とされるのは、大手の企業年金が、そのような企業家的投資機関に対する投資のために、その資産の一部、たとえば一割程度を割くことである。しかし今日のところ、年金基金のマネジメントは、相も変わらず半年先の株式市場に目を向けている。」

英国は確定拠出型年金を通じて
未公開企業に成長資金を供給する試みへ

日本の機関投資家がどこも社会課題解決型スタートアップへの支援に手をこまねいているわけではない。例えば、日本の大手プレイヤーの一社たる第一生命は、2021年5月31日にMPower Partners Fund L.P.への投資についてニュース・リリースを行っている。同リリースによると、MPower Partners Fund L.P.は、テクノロジーの力で社会課題解決を目指すベンチャー企業支援を目的に、ヘルスケア/ウェルネス、フィンテック、次世代の働き方/教育、次世代の消費者、環境/サステナビリティを重点投資分野と定め、当該分野における国内外のベンチャー企業に対して投資を行うファンドだ。

第一生命による同ファンドへの投資は、日本の大手機関投資家が社会課題解決型スタートアップを支援し始めた好事例だが、こうした動きが今後、特に企業年金で加速することに期待が出来る環境変化も生じているようだ。

ニッセイ基礎研究所・金融研究部・ESG推進室兼任上席研究員の梅内俊樹氏は「企業年金とESG投資 ESGを意識した経営の広がりで見直されるESG投資(基礎研レター 2021年10月14日)」で、「企業年金においても、ESGを重要視する母体企業の方針を踏まえて、ESG投資を検討する動きが強まることが見込まれる」と解説する。従来、リソースに限界があることや、運用成績に強い確信を持てないことなどで社会課題解決といったESG投資に積極的になれなかった企業年金だが、母体企業自体がここにきて自社のサステナブルな成長の方向性とESG課題への取り組みが重なることへの理解を深め、経営計画でもこうした分野への取り組みを強化する方向にあり、企業年金もそうした方針を踏まえるだろう、とのことだ。

みずほリサーチ&テクノロジーズ・コンサルティング第3部・上席主任コンサルタントの田上亜希子氏も「ESG投資を取り巻く欧米の動向と企業年金への影響」(コラム 2021年12月28日)で、「2021年6月に公表された金融庁の『サステナブルファイナンス有識者会議報告書』において、『ESGの考慮は受託者責任を果たすうえで望ましい対応と位置づけることができる』とされ、企業年金の役割期待が明確にされた」ことにも注目し、「企業年金のスポンサー(母体企業)がESGへの取り組みを本格化するのを受けて、企業年金でもESG投資への取り組みを開始・検討するという動きが見られ始めている」と述べる。

最後に、日本のインベストメントチェーンは、ベンチャー企業/スタートアップへの成長資金の供給で大きく水をあけられた米国に一歩でも追いつくために、上述したように45年前に鳴らされたドラッカー氏の警鐘に傾聴し、今からでも挑戦すべきことは必至だが、同時に英国で最近始まったばかりの「投資ビッグバン」の試みについても注視しておくべきことを指摘しておきたい。

Nomura International plc NICMR(野村資本市場研究所ロンドン拠点)・主任研究員の磯部昌吾氏と、野村資本市場研究所・研究員の中村美江奈氏の共著による「英国政府が求める『投資ビッグバン』-確定拠出型年金と長期資産ファンドを通じた成長資本供給-(野村資本市場クォータリー 2022年冬号)」によると、英国政府は加入者が拡大する確定拠出型年金が今後の同国におけるベンチャー企業やインフラなどへの産業資金の供給の担い手となることへの期待を高めており、その円滑な実現に向けて、金融規制当局が招集した民間専門家グループが提言を公表し、また、そうした成長資金の供給手段として「LTAF(長期資産ファンド)」と呼ばれるファンドを導入し、関連する制度改正を行ったとのことである。

英国政府のこうした動きは、年金資金は長期という時間を味方につけ、社会課題の解決と持続的な経済成長のための資本を蓄積し提供できる(年金の究極の目的が加入者の将来の退職生活を豊かにすることだとすると、むしろ提供しなくてはならないとも言えよう)という点において、確定給付型も確定拠出型もないことを示している。確定給付型から確定拠出型へのシフトが起きている日本のインベストメントチェーンにとって、ドラッカーの警鐘に加えてもう1つの挑戦になろう。

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井潟 正彦

立教大学大学院 ビジネスデザイン研究科客員教授

井潟正彦 Masahiko Igata
大手邦銀、外資系信託銀行、シドニー大学留学(MBA)を経て、野村総合研究所に入社。野村総合研究所アセットマネジメント研究室長、野村ホールディングス経営企画部次長、野村資本市場研究所研究部長、同執行役員、同常務、野村サステナビリティ研究センター・シニアフェロー(兼務)などを経て、2021年4月より株式会社 助太刀 常勤監査役。2016年度より立教大学ビジネスデザイン研究科特任教授、2020年度より同客員教授。金融審議会「投資信託・投資法人法制の見直しに関するワーキング・グループ」専門委員、経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」(通称・伊藤レポート)会議メンバーなども歴任。

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