金利のある世界の到来やプライベートアセットの普及、DBとDCの連携強化など、企業年金を取り巻く環境は転換点を迎えている。変化に対応するには鋭くも柔軟な発想で企業年金を洞察し、これからを見通す必要があるだろう。そこで、長きにわたって企業年金に携わり、2025年8月よりかもめリサーチ&コンサルティング株式会社を立ち上げた木須 貴司氏から、企業年金の今後を考える上でのヒントとなる視点やアイデアなどについて寄稿いただく。
今回のコラムでは、足元で顕在化する地政学リスクに対してどう対処すべきかについて解説する。
イラン空爆・ホルムズ海峡封鎖
米国・イスラエルによるイラン攻撃によって、2026年3月は多くの企業年金関係者にとって厳しい月となった。日経平均は、13%下落。外国株式も下落。インフレに対する懸念から国内10年金利は0.2%以上上昇(野村BPI総合は1.8%下落)。年度の最後の月というケースも多いため、不安を感じた関係者は少なくなかっただろう。
米国・イスラエルと比較して正規軍での軍事能力に劣るイランはいわゆる「非対称戦争」で臨んでいる。米国・イスラエルの軍事力と直接対峙するのではなく、ホルムズ海峡というエネルギー輸送の要衝や経済的に重要なカタールの重要地点に攻撃を行い、原油価格や金融市場に影響を与えている。これは、「戦争論」で有名な軍事学者カール・フォン・クラウゼヴィッツのいう「重心への攻撃」とみることができる。市場やエネルギー供給に打撃を与えることで、米国の戦争継続意思を揺さぶろうというわけである。その作戦は、現時点ではよく機能していると言えるだろう。中間選挙を控えるトランプ大統領にとっては、政治的コストを大きく支払いかねない状況に陥っている。
地政学リスクと影響の波及ルート~貿易と資本移動
今回の事象は「地政学リスク」が顕在化した典型例といえる。
「地政学(Geopolitics)」という用語は、もともと軍事戦略の理論として生まれた概念だ。19世紀末、スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェーレンがこの言葉を提唱し、国家の力は地理的条件によって大きく左右されると考えた。今日では地政学は軍事だけでなく、貿易やエネルギー、サプライチェーンなど国際経済の分析にも広く用いられている。「地政学リスク」(あるいは地政学的リスク)は、地政学に関する出来事、具体的には国家間の政治・軍事関係の変化によって生じる不確実性、金融市場等へ生じるストレスを指す。米国の相対的な政治・軍事能力の低下、国連などの国際協調の枠組みの機能不全、グローバル化に対する反動などを背景に国際政治の前提となっていた「常識」が揺らぎつつある。そんな中、地政学リスクは投資家にとって留意すべき大きなリスクの一つとなっている。
この地政学リスクは、次の3つのルートで波及し、最終的には経済のファンダメンタルに影響すると考えられる(図表1参照)。
① 生産の制約紛争や制裁によって、資源・エネルギー・工業製品の生産が制約される。今回もカタールのLNG施設がイランにより攻撃を受け、復旧に3~5年かかるとみられており、原油価格は状況が落ち着いても元の水準に戻らない可能性がある。
② 貿易の制約エネルギー、食料品などの必需品、半導体などの戦略物資の貿易が制約される。今回の事象は主にこちらに当たる。
③ 資本移動の制約ロシアのウクライナ侵攻では、ロシアがSWIFTから排除され、国際金融から締め出された。新興国国債指数や新興国株式指数にロシアの資産も組み込まれていたが、瞬時に時価が備忘価格近辺まで引き下げられ、大きな損失が発生した(後に指数自体からも除外)。
金融市場は、これらのルートから波及する経済への影響を予測し、事前に価格を修正する。今回、日本の株式は、10%以上下落したが、米国株式が5%程度の下落だったのは、日米での中東のエネルギー依存の状況が異なり、日本の経済の方がホルムズ海峡の封鎖により脆弱とみられているためだ。
<図表1:地政学リスクの波及ルート>

出所:各種資料よりかもめリサーチ&コンサルティング作成
次の地政学リスクの震源地は?見るべき3つのポイント
もう起こってしまった地政学リスクを後から対処するのは難しい。問題は、どう管理すべきか、だ。
今後の地政学リスクを考える際に次の3つのポイントを起点に整理するとその重要性がわかりやすい。
① チョークポイント(物流のボトルネック)チョークポイントとは、国際物流におけるボトルネックとなる地理的地点を指す。
特定の海峡や運河など、代替ルートが限られている場所が典型例である。今回でいえば、ホルムズ海峡である。
経済活動に不可欠な戦略物資の供給である。エネルギー、食料、半導体、レアアースなどは、現代の産業構造を支える重要な資源であり、その供給が地政学的な対立によって制約されると、世界経済に広範な影響が及ぶ。
例えば、ロシア・ウクライナ戦争はエネルギーや穀物市場に大きな影響を与え、米中対立は半導体や先端技術のサプライチェーンに緊張をもたらしている。こうした戦略物資の供給構造を理解することは、地政学リスクの震源地を見極める上で重要な手掛かりとなる。
③ 国際金融システムの中での立ち位置最後は、国際金融システムの中での位置づけである。近年の地政学的対立では、軍事力だけでなく、金融システムそのものが政策手段として用いられるケースが増えている。この意味で、地政学リスクとは単なる軍事衝突の問題ではなく、貿易や金融を含む国際経済システム全体の中で理解する必要がある。
チョークポイントと通行する戦略物資を考慮すると注目されるのは、やはり台湾海峡だ。マッキンゼーのレポート[1]によると近年の貿易の伸びはAI需要に結びついた半導体や半導体関連装置に依存している。これらの戦略物資の大半が台湾海峡に関連しているためだ。
ただそれ以外にも注意すべきチョークポイントは多数ある(図表2参照)。従来とは異なり、国際政治の常識が変わりつつあり、いまや戦争という選択肢・手段が「普通」になってしまっているからだ。
<図表2:主な世界の貿易のチョークポイントと通行する戦略物資>

出所:各種資料よりかもめリサーチ&コンサルティング作成
地政学リスクをどう考えるべきか~避けがたいリスクだが、チャンスにもなりうる
では、この地政学リスクに対してどのように向き合うべきだろうか。地政学リスクは、軽減することはできても完全に避けることは難しい。依然として、世界の貿易・経済・サプライチェーンは、あらゆるところが結びついており、特に前述のチョークポイントに関連した地政学イベントが発生した場合、世界のあらゆる経済への影響が考えられるためだ。「機動的な運用」によってこのリスクを事前に避けるという可能性もありえなくはないが、最も機動的な運用が可能なヘッジファンドでも2026年3月は大きな損失を被ったケースが少なくない。
考えられる対応としては次の2つが考えられる。
① ストレステスト:地政学リスクの把握地政学リスクは避けがたいものの、事前に把握する必要性は高まっている。想定されるシナリオの元で、ストレステストを行い、十分な資本・流動性のバッファを有しているかを検証することが望ましい。
②地政学リスクを恐れすぎない。長期投資の原則を確認するCaldara & Iacoviello(2022)[2]は、地政学リスク指数を考案し、地政学イベントの市場への影響を分析した最もよく知られた論文だ。同論文は、地政学イベントは、短期的には下落要因となるものの、長期的には影響は限定的と示している。実際、過去の地政学イベント- 9.11同時多発テロ(2001年)、ロシア-ウクライナ(2022年)、イスラエル・ハマス戦争(2023年)を振り返っても、影響が長期にわたって持続していない。
また、市場の変動自体が投資機会となる場合もある。地政学リスク自体を投資機会、あるいはリスク分散の手段としてボラティリティ投資、ヘッジファンドの分散などを進めるという手段も考えられる。
地政学リスクは、歴史的には人間の有史以来あったものだと言える。昨今、予測不能なリーダーが多いため、より意識されているだけ、とも言える。投資家に求められるのは、それを予測することよりも、その影響に耐えうるレジリエントなポートフォリオを構築することだ。
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Mckinsey & Company, ”Geopolitics and the geometry of global trade: 2026” https://www.mckinsey.com/mgi/our-research/geopolitics-and-the-geometry-of-global-trade-2026-update update ↑
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Caldara, Dario, and Matteo Iacoviello. 2022. “Measuring Geopolitical Risk.” American Economic Review 112 (4): 1194–1225. ↑