はじめに
今回は、フランスの退職貯蓄制度(épargne retraite)、特にDCに近い仕組みを取り上げます。フランスでは公的年金が中心で、私的な積立制度は長く補完的な位置づけにとどまってきました。近年は、**PER(Plan d’Épargne Retraite)**という老後資金のための新しい退職貯蓄制度のもとで制度の整理が進んでいます。PERは2019年に導入された共通枠組みで、個人型と企業型があり、日本のDCそのものではありません。
フランスの年金制度の特徴
フランスの年金は、伝統的に次の3つの層から構成されます。
第1層:基礎制度(régimes de base):民間被用者の一般制度を中心に、職業に応じた複数制度が並立する構造です。民間一般制度では、満額年金の条件や年金額が、保険料納付期間や賃金履歴に応じて定まります。
第2層:補足制度(régimes complémentaires):民間被用者についてはAGIRC-ARRCO(2019年に統合)が中心です。ポイント制(point system)で運営される強制加入の補足年金で、賦課方式の確定給付的性格を持ちます。フランスの年金給付のかなりの部分をこの層が担っています。
第3層:任意の私的年金(épargne retraite):個人・企業による任意の積立型年金です。ここに確定拠出(DC)型の商品が位置づけられます。GDP比・加入率ともに国際的に見て小さいことが長年の特徴でした。
第1層・第2層が老後所得保障の中心であり、公的・準公的年金による所得代替率も比較的高い水準にあります。そのため、公的年金が手厚いことから、第3層の企業年金・個人年金は、あくまで「補完的」な位置づけにとどまってきました。
一方で、公的年金が手厚いことの裏返しとして、フランスは長年にわたり以下の問題を抱えてきました。
- 財政の持続可能性:高齢化と早期退職文化(実質退職年齢が長らく60歳前後)により、財政圧力が増大
- 制度の分立・複雑性:職域別に42以上の制度が併存し、転職時のポータビリティや公平性に問題
- 改革への政治的抵抗:年金改革のたびに大規模ストライキが発生(1995年、2003年、2010年、2019〜2020年、2023年)
特に、フランスでは年金改革が政治的に大きな争点になりやすく、退職年齢の引き上げなどはたびたび大規模な抗議行動を招いてきました。
第3層:企業年金・個人年金とDCの歴史
フランスで私的年金の発展が相対的に遅れた背景には、公的・準公的年金の厚さに加え、退職専用商品以外に生命保険が長期貯蓄の受け皿として広く利用されてきたことがあります。
もう一つの要因は、制度の複雑さです。旧制度下では複数の商品が並立し、それぞれ税制や移換、受取方法が異なっていました。
転機は2003年のフィヨン改革でした。この改革では、公的年金の持続可能性を高めるために受給資格や負担の見直しなどが行われる一方、私的な退職貯蓄制度も拡充されました。
個人向けにPERP、企業向けのPERCOとPEREが整備されました。このうちPERPは、個人が任意で加入する退職貯蓄商品で、拠出時に一定の所得控除が認められていました。PERCOは企業の従業員貯蓄制度に基づく商品で、任意加入を前提とし、退職時には年金だけでなく、協約の定めがあれば資本受取も可能でした。また、企業が特定の従業員層を対象にArticle 83という強制加入型の確定拠出制度も利用されてきました。これは企業拠出を中心に、対象従業員が退職後の年金原資を積み立てる制度で、日本の企業型DCに比較的近いものです。
こうしてフランスでも私的年金は整備されていきましたが、制度は次第に複雑化しました。複数の制度が乱立し、転職、税制、移換ルール、受取方法がそれぞれ異なっていたためです。転職や独立など働き方が変わると、退職資産を持ち運ぶ仕組みも分かりにくく、加入者から見た使い勝手には課題がありました。
この状況を解決したのが、2019年のPACTE法です。乱立する退職貯蓄制度はPER(Plan d’Épargne Retraite)という単一の枠組みに移行可能となりました。
個人型、企業型(任意加入)、企業型(強制加入)の3類型に集約され、区分間の資金移換も容易になり、転職に伴う持ち運びも可能になりました。
PACTE法のポイントは、制度間の移換や持ち運びを容易にしたこと、税制や出口ルールをより共通化したこと、そして運用の標準設計を明確にしたことです。政府は旧制度について「商品ごとにルールや税制が異なり、持ち運びや集約が難しかった」と説明しており、PERはその改善策として設計されました。運用面では、原則としてライフサイクル型の管理運用(gestion pilotée)が適用され、退職まで時間がある時期は相対的にリスク資産を多く持ち、退職が近づくにつれて安全資産の比率を高める仕組みになっています。
給付の受け取り方も柔軟になりました。PER個人型とPER企業型(任意加入)では、退職時に一時金、年金、その併用を選べます。また、住宅取得のための途中引き出しも認められています。ただし、企業型(強制加入)の義務拠出部分については、現在も原則として年金受取であり、住宅取得目的の途中引き出しの対象にもなりません。
PER導入後、市場は着実に拡大しました。フランス財務省によれば、PERの保有者数は2025年12月31日時点で約1,290万人、残高は約1,500億ユーロに達しています。フランス政府内の行政部局であるDREESの2024年データでも、退職貯蓄拠出全体に占めるPERの比率は77%まで高まっており、PERが第3層の中心商品になったことが確認できます。
現在地と今後の方向性
公的年金の受給開始年齢が引き上げられてきたことで、国民に「公的年金だけに頼れない時代」であることを改めて意識させ、PERへの関心を高める背景の一つになりうると考えられます。今後の論点としては、制度の使いやすさと情報開示の質が重要です。実際、フランス政府は2022年にPERと生命保険の費用について標準化した開示を導入し、比較可能性の向上を図りました。今後も、利用者への情報提供の充実が、制度への信頼を左右するポイントになるでしょう。
日本への示唆
- 商品の統合・標準化
フランスは乱立していた退職貯蓄制度をPERという単一の枠組みに再編し、制度間移換と分かりやすさを改善しました。日本でも、制度間の移換性や利用者目線での理解しやすさを高めることは、普及促進の重要なヒントになりそうです。
- 出口の柔軟性
フランスから学べるのは、加入時の税制だけでなく、退職時にどう受け取れるか、転職時にどう持ち運べるかが利用者にとって非常に重要だということです。PERは一時金・年金の選択肢と移換のしやすさを備えた制度として、第3層の主力商品へ成長しました。日本でも、出口の柔軟性とポータビリティの設計が制度普及の鍵になるでしょう。