債券運用の巨人「PIMCO」の眼に映る、5年先の未来
変革をもたらす「3つのトレンド」とは?
日本における代表者兼アジア太平洋共同運用統括責任者
正直 知哉氏
世界最大級の債券運用会社であるPIMCO(ピムコ)は、毎年、『長期経済予測会議(セキュラー・フォーラム)』を開催している。例年、世界各拠点に展開する運用プロフェッショナルが一堂に会して、向こう5年間の世界の経済、政治、そして金融市場を展望するというもので、その内容については世界中の機関投資家が注目している。
創業50周年を迎え、40回目の節目の開催となった2021年9月の会議は、前年に続いてオンライン開催となったが、金融危機後の2009年にPIMCO自らが提唱した「ニュー・ノーマル(新たな標準)」以降の大きなトレンドについて、議論が交わされ、このほど「変革への備え」と題名が付けられた、レポートもリリースされた。
いかなる「変革」への備えが求められるのか--ピムコジャパン代表の正直知哉氏に聞いた。
――今年の長期経済展望のテーマは「変革への備え」だそうですね。今回の会議ではどのような議論が展開されましたか?
今回のテーマは、前回(2020年9月)のテーマ「加速する創造的破壊」を発展させたものになっています。前回の会議では、米中の対立、ポピュリズム(大衆迎合主義)、テクノロジー、気候変動という4つの長期的な創造的破壊要因が、新型コロナウイルスのパンデミックによって加速し、増幅されるだろうと論じました。実際、2021年はそうした動きが強まり、今回も当面は収束しないだろうという結論に達しました。その上で、新たに世界経済とマーケットに、大きな変革をもたらす可能性のある3つのトレンドを提示しています。
――「3つのトレンド」とは具体的に何でしょうか?
①ブラウン(化石燃料)からグリーン(再生可能エネルギー)への移行、②新技術の迅速な導入、③成長の恩恵を広く分配、の3つです。それぞれのポイントを説明しましょう。
まず、①ブラウンからグリーンへの移行ですが、官民を挙げて、2050年までに脱炭素化とCO2のネットゼロ・エミッション(実質排出ゼロ)を達成すべく対策を強化しており、今後数年にわたって、再生可能エネルギーへの投資が一段と活発化していきます。この移行期には、エネルギー供給の混乱や価格の高騰によって成長が阻害されたり、インフレが加速したりする可能性があり、その兆候はすでに表れています。ゴールである脱炭素社会の実現は、もちろんさまざまな観点から望ましいものですが、目的達成までの道のりは決して平坦ではありません。
――2021年11月に開催された「COP26」(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)でも、国際協調の難しさが露呈しましたね。
②の「新技術の迅速な導入」は、デジタル化と自動化のことで、企業のテクノロジー投資が大幅に増加していることからもわかるように、パンデミックによって加速しています。同様のテクノロジー投資が盛り上がった1990年代の米国では生産性も加速的に上昇しており、過去1年の動きを見るとやはり生産性が大幅に向上しています。
しかし、デジタル化と自動化は、新たな雇用を生み出し、既存の雇用者の生産性を高める一方、デジタル技術で置き換えることが可能な業種も多く、仕事を失い、適切なスキルがないため他で仕事を見つけることが困難な層にとっては破壊的な要因になりえます。そのため、グローバリゼーションと同じく、負の側面として格差が拡大し、政治的に両極端なポピュリスト政策に支持が集まりやすくなる点には注意が必要です。
そして、③の「成長の恩恵を幅広く分配」は、現在進行中のトレンドとして、政策立案者と社会全体が所得と富の格差拡大に対処し、成長をより包摂的にすることに表れています。最近の例では、中国指導部が「共同富裕」をスローガンとして個人の富と所得の格差縮小を目指していることや、米国の民主党が策定した、主に社会的なセーフティネットに焦点を絞った3.5兆ドル規模の「ソフトインフラ」投資法案などがあります。岸田政権が標榜している「成長と分配の好循環」も、同じ方向感と言えます。今後、主要国ではこうした政策が定着することになるとみています。
――3つのトレンドが今後の世界経済の行方を左右する要因ということですが、①の進展や、中国で起きている自給自足化の流れは、新興国には経済的な逆風の要因と思われます。その結果、新興国のソブリンリスクや地政学リスクが高まり、「創造を生まない破壊」になってしまう可能性はないのでしょうか。
残念ながら、その可能性は否定できません。 ブラウンからグリーンへの移行には、その国の財政の対応が大きなウェイトを占めるからです。先進国であれば中央銀行が財政をファイナンスすることは、それほど困難ではないでしょう。しかし新興国の場合は、財政面での余力にはかなりバラつきがあります。化石燃料への依存度の違いや、国民からの政治的な反発もあるでしょう。したがって、一部の新興国では移行がスムーズにいかず、「創造を生まない破壊」につながる可能性があります。COP26で、石炭火力発電の削減に関する合意が、最後まで難航した背景ともいえます。
――②のデジタル化および自動化による効率化によって、格差が拡大してきたのがコロナ以前の状況だったかと思いますが、②と③の課題解決・促進を同時に解決することは可能なのでしょうか? 場合によっては、②ばかりが進んでさらに格差が拡大したり、③を重んじるばかりに②の進展が阻害されたり……といったリスクはないのでしょうか。
ご指摘のとおり、この2つのトレンドは必ずしも整合的ではありません。両立が可能な国は限定されることになるでしょう。②と③の両立には、2つの要素が必要だと思います。
1つ目は、その国の労働市場の在り方で、雇用制度や雇用慣行が柔軟かどうか。2つ目は、政治的なサポートです。デジタル化や自動化への投資や労働市場に対する、公的な支援が円滑に行われるかどうか。公的な支援がスムーズに行われれば、労働市場全体の生産性が高まり、成長の恩恵は幅広く行き渡ることになります。ただし、このいずれも実現させることは容易ではありません。日本にとっても、かなりチャレンジングな課題です。
日本の向こう5年間は、いかなるメインシナリオか
――「変革の時代」では国ごとのばらつきが大きくなるとのことですが、日本経済については向こう5年間、どのようなメインシナリオを想定していますか。
セキュラー・フォーラムは、世界的なトレンドを議論する場で、個別の国に関しての言及はありませんので以下は私見となります。
3つのトレンドに沿ってお話をすると、まず、日本の場合、財政は制約条件になるでしょう。グリーン経済への移行には相当な財政支出が必要になりますが、日本は高齢化・長寿化によって巨額の社会保障費がかかり、その負担は年々増大しています。その上で、グリーンエネルギーに対してどのくらいの財政支出ができるのか、憂慮されるところです。
そして、労働市場の柔軟性不足です。労働者が1つの企業や職種に留まらず、スキルを磨き、生産性の高い職業にチャレンジしていくという、欧米ではあたり前の雇用慣行が、日本では確立されていません。このままでは、生産性上昇による成長の恩恵はなかなか享受できないでしょう。
また、格差の問題について、今日の議論はややポイントがずれている印象があります。他の主要国でみられる富裕層と中間層の間に存在する格差問題よりも、日本では、若年層と高齢者における世代間格差の方が深刻ではないでしょうか。急速な高齢化による社会保障費負担の増加に加えて、長年にわたる低成長がもたらした損失は若年層ほど大きいからです。労働市場や年金制度の改革こそ急務でしょう。
これらの課題を踏まえると、向こう5年間の日本のマクロ環境はあまり芳しくないと言わざるを得ません。
ただし、ミクロではポジティブな材料があります。個別の産業をみれば、世界レベルで競争優位性があるカテゴリーは少なくありません。例えば、再生可能エネルギーをとってみても、水素エネルギー、ハイブリッド技術、燃料電池、石炭リサイクルなど、グリーン経済でカギを握るテクノロジーで高い技術力を有する企業がたくさんあります。
――日銀の金融政策についてはどのような見方ですか。レポートの中では「向こう5年については、金融市場の優位性から、FRB(米連邦準備制度理事会)をはじめとする中央銀行が政策を大幅に引き締めることは再び困難になる可能性」とのことですが、次の経済サイクルでは日銀は利上げに踏み切る可能性はどの程度あるでしょうか?
前回の利上げ局面でFRBは、政策金利であるFF金利の目標レンジを2.25%~2.5%に引き上げた後、金融市場のリスクによって、2019年には1.5%~1.75%に下げました。これはコロナウイルスによるパンデミック以前のことです。現在はすでにテーパリング(量的緩和の縮小)が開始され、2022年の利上げが織り込まれていますが、ターミナルレート(利上げの終着点)は2019年よりも低くなると予想しています。FRBがこうしたスタンスであれば、日本をはじめとする主要国の金利の天井もおのずと低くなります。
また、日本については、そもそも2%というインフレターゲットが達成可能なのか、という問題があります。黒田日銀総裁の任期は2023年4月で、その時点の政権の考え方にもよりますが、次の総裁就任を機に金融政策の目標が変わり、利上げに向かうという可能性は、現状、かなり低いでしょう。
――2022年以降の世界経済・マーケットを見ていくうえでヒントとなる視点をたくさんいただきました。本日はどうも、ありがとうございました。
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