はじめに
今回で3回目になります。今回取り上げる国は南米のチリです。これまでオーストラリアやシンガポールを取り上げてきましたが、チリも同様に強制加入と自己責任を重視する国です。1981年には世界に先駆けて公的年金を民営化し、個人の積立口座による強制加入制度に転換しました。「チリ方式」として以後の各国の年金改革のモデルとして注目されてきました。オーストラリアやシンガポールと異なる点は、年金資産の運用をほぼ全面的に民間企業(AFP)に委ねたことです。
本稿では、チリの確定拠出型年金がどのように設計され、どのような評価を受けているのかを簡潔に見ていきます。
制度
・拠出率:長らく「労働者負担10%」のみでしたが、年金不足が深刻化したため、直近の改革で雇用主負担7%の追加が決定しました。2025年から段階的に引き上げられ、計17%の労使分担型へと大きく転換します。
・給付:受給時には、積み立てた資産をもとに保険会社との終身年金契約を通じて生涯にわたり年金を受け取るか、計画的に引き出すか、あるいはその併用かを選択できます。
AFP(年金運用管理会社):AFPと呼ばれる民間企業が、保険料の徴収から個人口座の管理、資産運用、給付手続きまでを一手に担います。複数のAFPが存在し、運用成績や手数料、サービスで競争する設計でしたが、実際には大手数社による寡占が強く、手数料が十分に下がらないなど、期待したほど競争が機能していない面が指摘されています。
投資ファンド:2002年導入のマルチファンド制度により、各AFPはリスク水準の異なる5種類のファンド(A〜E)を提供しています。Aが最もリスクが高く、Eが最も保守的です。加入者は自由に選択できますが、選ばない場合は年齢に応じたファンドが自動的に割り当てられる仕組みになっています。
|
ファンド |
特徴(資産配分のイメージ) |
想定リスク水準 |
デフォルト配分(年齢) |
|---|---|---|---|
|
A |
株式比率が最も高い。国内外株式中心で、長期の高リターンを狙う |
最も高い |
なし(自分で選択しない限り適用されない) |
|
B |
株式比率をやや抑えつつ、依然として成長重視 |
高め |
35歳以下(男女共通) |
|
C |
株式と債券のバランス型。中程度のリスク・リターン |
中程度 |
男性:36〜55歳 女性:36〜50歳 |
|
D |
債券中心で、株式比率は低め。安定性を重視 |
低め |
男性:56歳以上 女性:51歳以上 |
|
E |
ほぼ債券・短期金融資産などで構成。元本保全に近い運用 |
最も低い |
高齢者やすでに受給段階に近い層向け。高年齢層のデフォルトに設定される |
歴史(導入の背景・改革の経緯)
AFP制度は1981年に本格的に導入されました。当時の賦課方式の公的年金は、インフレや財政赤字、制度の複雑さなどから持続可能性に強い懸念があり、これを原則廃止して、完全積立方式・個人勘定型へと大きく舵を切りました。
導入後は、強制的な積立を通じてGDPの8割超に相当する資産が蓄積され、それが国内市場に投資されることで、チリの金融市場の発展と経済成長を強力に牽引したと評価されています。
一方で、制度導入から20年以上が経過し、実際に退職を迎えた世代からは低年金問題が顕在化しました。積立不足や拠出の中断により、十分な年金を受け取れない人が多数生じたためです。これを受けて2008年には連帯年金(APS)が創設され、純粋な個人口座方式では吸収しきれない格差を、税財源による上乗せで補う最低保障的なセーフティネットとして位置づけられました。
さらに、前述の通りAFP間の競争による手数料引き下げも期待ほど進まず、AFP各社は高い利益率を維持しました。十分な年金を受け取れない加入者が増える中で、「運用会社だけが潤う」という構図への不満が強まり、制度への信頼低下を招きました。こうした状況を受け、2008年には「入札制度」が導入され、新規加入者全員を向こう2年間、最も手数料が低いAFPに自動的に割り当てる仕組みとしました。あわせて、手数料の内訳や水準を加入者が比較しやすいように、開示ルールの強化も進められました。
日本への示唆
チリは世界に先駆けて強制加入型の確定拠出年金を導入した国であり、先駆者ゆえに、制度転換の過程で生じる問題もいち早く経験し、試行錯誤を重ねてきました。日本にとって示唆となる点を、ここでは二つ挙げます。
・急激な制度転換のリスク:チリの経験は、公的年金制度を短期間で大きく組み替えると、移行世代や低所得層に不利な「ねじれ」が生じやすいことを示しています。改革時点で中高年であった人は旧制度でも新制度でも十分な加入期間を確保できず、低所得層は強制加入の枠外に置かれたり拠出が途切れがちになったりして、老後の年金水準が極めて低くなるケースがありました。制度改革では時間をかけた段階的移行と、取り残される層への配慮が不可欠です。
・全額労働者負担の限界:チリでは、拠出率10%を全額労働者が負担する設計でしたが、長寿化に対応するには不十分であることが後に明らかになりました。しかも負担が労働者に固定されていたため、拠出率引き上げや負担構造の見直しは政治的に難しく、雇用主や公的部門の負担を組み込むまでに長い時間を要しました。強制拠出型制度を検討する際は、初期設計の段階から、企業・労働者・政府の三者による負担バランスを中長期的に想定しておくことの重要性を示しています。