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大和総研・佐川あぐり研究員の年金レポート 
DB運用見える化と従業員ファイナンシャル・ウェルネスの向上

事業主に求められるDB情報周知の強化と金融経済教育機会の充実
2025年10月9日
佐川 あぐり /  大和総研 政策調査部 研究員

要約

企業年金の運用の見える化の充実が検討されている。「資産運用立国実現プラン」では、企業年金の運用に係る情報を、他社と比較可能な形で一般に開示する案が盛り込まれた。背景には、企業年金が公的年金を補完する老後の所得確保の手段としてだけでなく、人的資本経営の観点からも重要との認識が高まっていることがある。従業員の利益最大化に資する企業年金の充実への取り組みが求められている。

企業年金・個人年金部会の議論によると、特に確定給付企業年金(DB)における運用の見える化には慎重な意見が少なくない。だが、情報を一般公開すれば、制度運営における透明性の向上やガバナンスの強化に加え、他社との比較情報を参考に事業主と受託機関の活発な意見交換の機会を通じて、運用の効率化を図れる期待も高まる。事業主には、さらに従業員の満足度を高めるわかりやすい情報周知への取り組みが求められる。

企業年金の充実は、従業員のファイナンシャル・ウェルネスの向上につながる期待が高く、事業主にとっても生産性向上という面でのメリットが大きいはずだ。それには、従業員へ退職後に向けた資産形成のサポートにつながる情報やアドバイスの提供が有用である。事業主は、運用の見える化を契機に、従業員へのDBの情報周知の強化だけでなく、金融経済教育機会の充実も進めていく必要がある。

※当記事は2024年12月3日に公開されたものです。

はじめに ~企業年金の運用の見える化が進められている

2023年12月に公表された「資産運用立国実現プラン」(※1)では、資産運用立国の実現に向けたアセットオーナーの機能強化を推進するための取り組みの一環として、企業年金(確定給付企業年金:DB、企業型確定拠出年金:企業型DC)の運用の見える化の充実が挙げられている。同プランでは、DB、企業型DC両制度において、運用に関する情報を他社と比較できる形で開示することが求められている。

背景には、企業年金は、公的年金を補完し高齢期により豊かな生活を送るための手段として重要との認識が高まっていることがある。加入者(従業員)の利益の最大化を図り、企業年金を充実させるには、それに資する企業年金の運用が実現できる環境の整備が求められている。

加えて、企業年金は、従業員を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出そうとする人的資本経営の観点からも重要と考えられている。企業年金の充実は、退職後の所得における不安の軽減を通じて、従業員の満足度の向上につながる期待が高い(※2)。特に、経済面における満足度は、個人の金銭的な健康度が現在だけでなく将来にわたって維持される状態を指す概念である「ファイナンシャル・ウェルネス」という言葉で表され、近年は、従業員の「ファイナンシャル・ウェルネス」を高めて、生産性を高く働いてもらうことが、持続的な企業価値の向上につながるという考え方が、世界的に広がっている。

現在、具体案については、社会保障審議会の企業年金・個人年金部会で検討されている。だが、これまでの議論を踏まえると、特にDBにおいては、資産運用立国実現プランが目指す運用の見える化を進めることに慎重な意見が少なくない。そこで、本稿ではDBを対象に情報開示の現状や部会での議論を踏まえ、運用の見える化が企業年金の充実につながる期待が高く、加入者、事業主の双方にメリットがある点を考察する。

DBでは加入者への情報開示が法令で規定されている

DBは、従業員の受け取る給付額が約束された企業年金制度であり、事業主が従業員の掛金を拠出し、年金資産の運用を行う。将来にわたって確実に給付が行われるようにするには、制度を健全に運営するためのガバナンス体制の整備が重要であり、その体制の一つに情報開示がある。事業主に加入者への情報開示を義務付け、加入者がこれらの情報を基に、制度が健全に運営されているかどうかをチェックできるようにすることは、受給権保護の観点からも重要である。

確定給付企業年金法(以下、DB法)ではDBを運営する事業主等が加入者に対して業務概況を周知しなくてはならないことが定められ(DB法第73条第1項)、業務概況に盛り込むべき事項や周知方法についてはDB法施行規則第87条第1項で規定されている(図表1)。また、事業主等はDBの事業及び決算に関する報告書を作成し厚生労働大臣に提出すること(DB法第100条第1項)、加入者等(加入者であった者も含む)がそれを閲覧請求できることも定められている(DB法第100条第3項)。

また、厚生労働省は、DBを実施する事業主等(資産運用関係者)を対象に具体的な行動指針をまとめた資産運用ガイドライン(※3)を2018年4月に見直し、加入者のDB制度への関心・理解を深める観点から、事業主等に対し、図表を用いる等、わかりやすく情報を開示するための工夫を講じることを明記した上で、対応を求めている。



業務概況の報告においては、事業主が、資産管理や資産運用業務の受託機関が用意するひな形を活用し、事業所内のイントラネットに掲載するなどして実施しているケースが多い。例えば、標準的な給付額や給付設計が一目でわかるようなレイアウトとしたり、積立金の概況を責任準備金や継続基準といった年金用語に説明を加えてわかりやすく例示したりする事例がある。また、図表1に示す業務概況に盛り込むべき事項だけでなく、DBにおける将来の給付額について、入社時の年齢や退職事由(定年退職、自己都合退職など)別にモデルケースを提示し、標準的な年金額を表示したり、DBだけでなく企業型DCや退職金などを合わせて個人別に将来の給付額を通知したりするなど、情報開示の仕方には各社工夫が見られる(※4)。

DBの運用の見える化、慎重な意見は少なくないがメリットもある

このように、DBでは、加入者に対する情報開示が法令で規定され、加入者が運用に関する情報を確認することができるようになっているが、これらの情報は一般には公開されていない。海外に目を転じれば、英米の企業年金においては、情報の開示項目や開示対象が広範にわたっており、財務や運用に関する詳細な情報が一般に公開されている(※5)。資産運用立国実現プランでは、こうした英米の状況も踏まえた上で、日本の企業年金においても運用の見える化の充実を求めている。

現在、具体案については企業年金・個人年金部会で議論されている。だが、部会での議論を踏まえると、DBにおいては運用の見える化を進めることに慎重な意見が少なくない(※6)。例えば、DB実施事業主の多くが中小規模の事業主(※7)であり、運用の見える化への対応により事業主負担が過度に増えることで、企業年金を廃止する事業主が出てくる可能性が指摘されている。図表2に示す具体案を見ると、開示項目は、基本として事業主等が厚生労働省へ毎年提出する事業報告書などをベースとし、厚生労働省が公表することで、事業主には新たに大きな負担が発生しないように配慮されている。また、開示対象には従業員数などの企業規模要件を設けることが検討され、この点は特に小規模事業主への負担増に配慮している形だ。

加えて、企業年金は、労使合意の下、自社の人事戦略や財務戦略を踏まえて独自に設計される労働条件である。制度の運営状況や運用の基本方針などが制度ごとに異なる中で、期待収益率や予定利率などの数字を単純に横比較することで、運用の優劣が判断されたり、制度運営の良し悪しを評価されたりすることは望ましくないとの意見も挙げられている。これらの意見については、今後、開示項目の選別やそれぞれの情報を比較する上での注意点を明記するなど、見せ方をどう工夫するかの検討が必要となろう。



もっとも、他社との比較を可能とする見える化には、メリットもあると思われる。英米の企業年金では、受託者責任の一環として透明性確保の観点から情報の公開が義務付けられているが、結果として、年金基金の規律強化につながっていると評価されている。日本でも、DBの運営や運用に関する情報が広く開示されれば、外部からの監視の目が向けられることで制度の透明性の向上やガバナンスの強化につながるだろう(※8)。

また、DBの制度運営に関する意思決定に際しては、事業主等が受託機関から助言を受けて行うケースが多く、受託機関と事業主との間には情報の非対称性が存在していることが指摘されている。情報を一般に公開すれば、事業主は他社の情報が得られるため、それを参考に受託機関との間で活発な意見交換を実施しやすくなるだろう。その結果、運用の基本方針や資産構成の見直しに反映され運用の効率化が図られれば、DBの健全な制度運営につながる期待も高まる。

資産運用立国実現プランが目指すDBの運用の見える化については、今後検討の余地はあるものの、厚生労働省が集計・公表し、事業主には新たに大きな負担が発生しない形が検討されている。また、事業主が他社の情報を得やすくなることで、ガバナンスの強化や運用の効率化が期待できる。DBの充実を通じて従業員の満足度を高めることができれば、事業主にとっても生産性の向上という面でのメリットが享受できる。事業主の積極的な対応が求められる。

事業主は、さらに従業員の関心・満足度を高めるDB情報周知の取り組みを

ただし、さらにDBの充実を通じて従業員のファイナンシャル・ウェルネスを高めていくには、事業主は、運用の見える化を契機に、これまで以上にわかりやすい情報の周知に取り組むことが求められる。確認したように、DBでは事業主に加入者への情報開示が法令で規定され、資産運用ガイドラインにおいてわかりやすく開示することも求めているが、現状は、従業員が自社の企業年金に関心を持っていないことが企業年金担当者の悩みとして多く聞かれている(※9)。おそらく、運用の情報をわかりやすく開示するだけでは、十分ではないといえる。

そこで、事業主に対し、従業員へDBの制度概要や運用に係る情報などを定期的に説明する機会を設けることを推奨してはどうだろうか。例えば、これまでイントラへ掲示していた業務概況の報告書の内容を、毎年度、企業年金の担当者から直接説明を受ける機会があれば、制度の状況を理解しやすいと感じる従業員は増えると思われる。資産運用の状況についても、他社の情報を活用し、運用資産の構成や積み立て状況を他社と比較することができれば、わかりやすい開示も可能だろう。

こうした取り組みの推奨を、加入者の理解を深めるための開示方法の一つとして資産運用ガイドラインに明記すれば、事業主にとっても具体的に採るべき行動が明らかとなる。また運用の見える化における開示項目として一般に公開すれば、他社の情報を参考に自社の取り組みの改善につなげる効果も期待できるだろう。

DB運用の見える化を契機に、職場での金融経済教育機会の充実を

加えて、従業員に対して、DBのわかりやすい情報開示だけでなく、退職後に向けた資産形成のサポートにつながる情報を提供することも、事業主に求められる重要な取り組みといえる。

職場における従業員の資産形成をサポートする教育機会の充実は、従業員のファイナンシャル・ウェルネスの向上につながる期待が高い。海外の事例を紹介すると、人的資本経営の考え方が広がる英国では、金融経済教育の推進機関として設立されたMaPS(Money and Pensions Service、2019年4月より活動開始)を中心に、国家戦略として金融経済教育の推進に取り組んでおり、特に、MaPSでは職場での金融経済教育の機会を推奨している。

英国では、労働者の多くがお金に関する不安を抱えており、それが仕事のパフォーマンスに影響を与えることが認識されている。そこで、年金に関連した従業員教育を推進する雇用主に対して税制面でのインセンティブを付与(従業員に提供する年金ガイダンス等にかかった費用は、福利厚生費用として所得控除できる)(※10)し、従業員が年金や退職金に関してアドバイスを受けやすい環境を整備している。こうした取り組みを通じて、従業員の退職後に向けた資産計画をサポートし、従業員のファイナンシャル・ウェルネスを向上させることができれば、従業員が生産性高く働けるという点で、雇用主にとってもメリットは大きいと考えられているのである。

翻って、日本でも、少子高齢化の進展により人々の老後に対する経済的な不安が強まる中、年金や資産形成に関して詳しく知りたいというニーズは高いと思われる(※11)。DBの情報を説明する機会に際して、公的年金における近年の制度改正の動向や、退職金、企業年金、個人で資産形成を実践できるNISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)といった私的年金制度の概要やメリットを学べるライフプランセミナーの実施は従業員にとっても有用だろう。

もっとも、こうした取り組みを実施することが難しい事業主は多いと思われる。この点、2024年4月に設立された金融経済教育推進機構(J-FLEC)では、従業員のファイナンシャル・ウェルネス向上に向けて取り組む事業主を支援する観点から、講師を派遣して従業員向けの研修を無料で行うなどの事業を展開しており、これを活用することで事業主の事務負担も軽減できるだろう。

J-FLECの設立により、ようやく日本でも、官民一体で戦略的に金融経済教育の推進に取り組む環境が整備されつつある。特に、社会人に向けた教育機会の充実が大きな政策課題だが、現状は企業型DCにおける投資教育が主な事例のほとんどを占めている。DBを運営する事業主にも、従業員の資産形成のサポートにつながる金融経済教育の実施を推奨することは、社会人向けの金融経済教育の推進という政策的な課題への対応ともなろう。

まとめ

資産運用立国実現プランが目指すDBの運用の見える化は、ガバナンスの強化や運用の効率化が期待できるなど、加入者の利益に資する取り組みといえ、事業主には積極的な対応が望まれる。DBの充実は従業員のファイナンシャル・ウェルネスを高める期待が高く、事業主にとっても生産性の向上という面でメリットがあるはずだ。一方で、さらに従業員のファイナンシャル・ウェルネスを高めていくには、事業主にはこれまで以上にわかりやすいDBの情報周知への取り組みが求められる。加えて、退職後に向けた従業員の資産形成のサポートにつながる金融経済教育機会の充実も、重要な視点といえる。これは、社会人に向けた金融経済教育の推進という政策課題への対応としても、検討すべきテーマではないだろうか。


※1 内閣官房「資産運用立国実現プラン」(2023年12月)
※2 江淵(2024)では、企業年金は人的資本管理における従業員満足の向上に資する可能性が示されている。また、西久保(2024)では、ファイナンシャル・ウェルビーイングに関連する福利厚生施策の提供が経営的効果に及ぼす影響を分析している。企業拠出型の退職給付制度は分析対象ではないが、老後資金などの準備となる「従業員拠出の年金保険・財形保険」の利用が、老後の経済的な不安を軽減する効果を通じて、「定着性」(現在の勤務先にできるだけ長く勤務したい)「勤勉性」(現在の勤務先ではできるだけ勤勉に働きたい)「貢献意欲」(現在の勤務先にできるだけ貢献したい)という従業員の3つの態度形成に正の影響を与えることが示されている。この結果は、老後に向けた所得確保につながる企業年金制度による従業員のエンゲージメントの向上効果についても示唆すると考えられる。
※3 厚生労働省「確定給付企業年金に係る資産運用関係者の役割及び責任に関するガイドラインについて(通知)」(最終閲覧日:2024年11月29日)
※4 社会保障審議会(2023)
※5 金融庁「企業年金を取り巻く状況に関する調査 最終報告書」(委託先:ボストン・コンサルティング・グループ合同会社)(2022年3月)
※6 第29回社会保障審議会企業年金・個人年金部会の議事録(2023年11月13日)によると、「例えば年金資産の積立状況など、給付を賄うための財源が十分かどうかという情報は、相対的に他社比較も容易で、加入者にとっても有益で分かりやすいと思われます。一方で、その財源を準備する方法、すなわち掛金拠出や資産の運用に関しては、比較可能性の問題に加えて、加入者にとっての必要性、有用性、さらには適正な理解の可否といった観点で、他社比較を行うこと自体に違和感を覚えざるを得ません。」(小林由紀子委員(日本経済団体連合会社会保障委員会年金改革部会部会長代理)発言)という意見や、「DB、確定給付年金について、ほかの企業の情報を開示して、制度比較をできるようにすることの意義については、私も疑問を持ちました。約束してもらった給付さえ将来支給されれば加入者としてはよいわけで、他社の状況を知らせることの意義はどこにあるのかと思いました。」(島村暁代委員(立教大学法学部教授)発言)という慎重な意見が挙げられていた。
※7 DBの制度数の割合を資産規模別に見ると、10億円未満の中小事業主が6割以上を占めている。(出所:社会保障審議会(2024)p.22)
※8 脚注6に示すように、第29回社会保障審議会企業年金・個人年金部会の議事録(2023年11月13日)では慎重な意見が少なくない。だが「現在の事業主・基金から加入者に通知または周知されている内容に加えて、当該年度の運用利回り、運用受託機関やコンサルタント会社、総幹事会社等へ支払っている費用の報告も義務化することを要望いたします。」(岩城みずほ委員(NPO法人みんなのお金のアドバイザー協会副理事長)発言)と見える化を肯定した上で、その効果として、「運用受託機関やコンサルタント会社、総幹事会社へ支払った業務や運用委託のフィーの結果、こういう成果が得られているということを見える化すべきであると申し上げています。一般に公表することによって、比較が可能になりますから、改善すべき点も見えてくるでしょうし、よりよい競争も生まれてくるのではないかと期待します。」(同)という意見も述べられている。
※9 社会保障審議会(2024)
※10 HM Revenue & Customs “Employer-arranged pensions advice exemption”5 December 2016
※11 内閣府「生活設計と年金に関する世論調査」(令和5年11月調査)によると、私的年金制度について詳しく知りたいことは何かという問い(複数回答)に対し、最も多い回答は「加入のメリット」(48.9%)で、次に「将来の受給可能見込額」が41.4%と多かった。

【参考文献】
○江淵剛(2024)「企業年金が従業員の意欲・意識に与える影響について -人的資本管理の視点から-」『年金研究』No.22、2024年3月、公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構、pp.55-76
○西久保浩二(2024)「ファイナンシャル・ウェルビーイングにおける福利厚生の有効性」『季刊 個人金融』2024年秋、一般財団法人ゆうちょ財団、pp.2-12
○森戸英幸(編)・年金格付け研究会(著)(2007)『企業年金ガバナンス 年金格付けへの挑戦』2007年5月、中央経済社
○吉野隆之(2020)「英国The Money & Pensions Serviceが『健全な家計のための英国の戦略2020-2030』を公表」年金調査研究レポート、2020/05/12、公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構
○社会保障審議会(2024)第34回社会保障審議会企業年金・個人年金部会 資料1「企業年金の加入者のための運用の見える化」2024年4月24日
○社会保障審議会(2023)第29回社会保障審議会企業年金・個人年金部会 資料1「加入者のための企業年金の見える化」2023年11月13日

当記事は大和総研のホームページに掲載されている、同社の政策調査部・佐川あぐり研究員のレポートを抜粋したものです。同氏の公開するレポートは下記リンクから閲覧できます。(大和総研のホームページへ遷移します。)
https://www.dir.co.jp/professionals/researcher/sagawaa.html

佐川 あぐり

 大和総研 政策調査部 研究員