リレーコラム データサイエンスの新地平
~オルタナティブデータ活用最前線~
第21回 従業員口コミデータを活用した企業文化の定量評価
~VUCA時代に求められる企業文化とは~
「オルタナティブデータ」と呼ばれる非伝統的な情報を用いた資産運用の最新動向について、認知拡大や業界ルール整備などの活動を展開する、オルタナティブデータ推進協議会(JADAA)関係者によるリレーコラム。
今回は、三菱UFJ信託銀行、資産運用部国内株式クオンツ運用グループのファンドマネージャー神田裕樹氏に寄稿いただいた。
第20回「『勘』による不動産の評価を脱却! 位置情報データが起こす不動産DX革命」はこちら。
オルタナティブデータで紐解く企業文化
岸田内閣が掲げる「新しい資本主義」では「人への投資」が重要視されており、人的資本のニュースを見聞きしない日はありません。2023年度から有価証券報告書において人的資本に関する情報開示が義務化されるなど、企業サイドでの情報開示の動きが急速に進んでおり、投資家サイドにおいてもオルタナティブデータ等を活用して人的資本を評価する動きが盛んになっています。ここではその一例として「変革力の高い企業文化」に注目した分析について紹介します。
企業文化は、従業員が暗黙知として共有する価値観や企業独自の雰囲気などを意味しており、企業の人的資本を評価する上で重要な要素の1つと言えますが、客観的に測定することが難しいという根本的な問題を有しています。なぜなら企業文化は抽象的な概念であるため、財務諸表などの伝統的な情報で評価することが難しいからです。そこで本稿ではオルタナティブデータである従業員の生の声(口コミデータ)を活用し、従業員が暗黙知として共有している企業文化の定量的評価を試みました。
VUCA時代を生き抜く企業文化とは?
テクノロジーの進化や地政学リスクの高まり、顧客ニーズの多様化など、企業経営を取り巻く環境は、まさにVUCA時代に突入しています。VUCAは、ビジネスの環境を表す概念で、変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧さ(Ambiguity)の頭文字をとったものです。変化が激しいVUCA時代において、企業が持続的に成長を遂げるには、これまでの成功体験にとらわれることなく変化に対して柔軟に適応し、強靭性(レジリエンス)を発揮することが重要と言えます。
それでは企業がレジリエンスを発揮するのに必要な要素は何か? その答えの1つが「変革力が高い企業文化」です。オープンなコミュニケーションが可能な環境や失敗を許容する企業文化を有する企業は、イノベーションを促進する土壌が整っており、将来の予想困難な事象に対応できる蓋然性が高いと言えます。以下では、数ある企業文化のなかでも「変革力が高い企業文化」に注目した分析事例を紹介します。
従業員口コミデータによる企業文化の定量評価
従業員口コミデータにはオープンワーク株式会社が提供している、転職・就職のための情報プラットフォームOpenWorkのデータを利用しました。一般的に従業員の口コミのような定性的なテキストデータは、財務指標のような定量データと比べて分析が難しいと言えます。そこでGoogle社が開発したBERTと呼ばれる自然言語処理技術を活用し、口コミデータを統計的に処理したうえで分析を行いました。
具体的には「組織体制・企業文化」のデータに対して、トピック分類とセンチメント分析を適用することで口コミデータを解析しました。トピック分類はある口コミデータがどのようなトピックについて書かれているのかを分類するもので、センチメント分析は口コミの内容がポジティブなのかネガティブなのかを評価するものです。
トピック分類では、「変革力」に関連があると考えられる「自由闊達」「風通し」「フラットな組織」などのキーワードを設定し、BERTモデルを学習させました。ここでは「変革力」のトピックへの関連度を(0%~100%)、文章のセンチメントを(0点~+1点)で評価し、これらのスコアを集計することで、企業文化を評価するスコアを算出しています。
こちらは実際に口コミデータに対してトピック分類とセンチメント分析を行った例です。
「自由闊達で、本人の意思を尊重してくれる社風がある」という文章であれば、「変革力」というトピックへの関連度合いが99%、文章はポジティブな内容(+0.98点)であり変革力が高い企業文化の文章と評価できます。
一方、「海外赴任のチャンスも多く、学ぶことができるチャンスが多分にあると考える」という文章であれば、トピックへの関連度合いは9%と低く変革力が高い企業文化には関係がないという評価になります。実際に全ての口コミをBERTモデルで評価し、変革力スコアが高かった企業のリストを以下に示しています。なおここでは口コミ数が十分確保できた時価総額上位500企業に絞ってリスト化しました。
具体的な企業の口コミデータを一部ご紹介します。
①ソニーグループ世界的電機メーカー。金融、映画などのコンテンツビジネスにも強みを持ち、事業の分社化・売却等によるビジネスモデル変革によりV字回復した実績がある。ソニーグループの変革力スコアを牽引した従業員口コミデータの一例は以下の通り。
②メルカリ
フリマアプリで国内最大手。3つのバリュー「Go Bold、All for One、Be Professional」を社員の多くが共有し、独自の企業文化を醸成。メルカリの変革力スコアを牽引した従業員口コミデータの一例は以下の通り。
損保大手。保険業法改正など外部環境変化を受け、海外市場に活路を見出しM&Aなどを通じて急拡大してきた実績がある。東京海上ホールディングスの変革力スコアを牽引した従業員口コミデータの一例は以下の通り。
変革力が高い企業の株価リターン
変革力が高い企業群は、予想困難な時代においても環境変化に柔軟・迅速に対応することで堅調な業績を示すことが期待されます。ここでは株式市場で変革力が高い企業がどのように評価されているのかを検証しました。
変革力スコアの水準ごとに3つのグループに分類し、グループごとに株価リターンとの関係性を見たものです。グループ1は「変革力スコア」が高い企業群(「自由闊達」「風通しがよい」といった口コミが多い企業群)、一方でグループ3はスコアが低い企業群(「トップダウンである」「年功序列で風通しが悪い」といった口コミが多い企業群)です。グループ2はそれらの中間の企業群です。
検証では2015年3月末~2023年6月末までの口コミデータを利用し、2015年4月~2023年7月末までの株価リターンを評価しました。このグラフから株式市場では変革力が高い企業がそうでない企業に比べて高く評価されており、投資判断する上で有益な情報と言えます。
またOpenWorkが提供する「従業員の満足度」「風通しの良さ」「社員の士気」といった定量的なスコアと変革力スコアの相関を見ると0.4程度の正の相関が見られ、変革力が高い企業文化は相対的に従業員の満足度が高く働きやすい環境と推察されます。こういった企業の離職率は相対的に低くなると考えられることから、企業にとって人的資本といった無形資産の積み上げや、人材獲得コストの低下による販管費の抑制、従業員の満足度や士気向上による企業文化のさらなる強化、などさまざまなメリットが期待されます。
最後に
本稿では、従業員の口コミデータと自然言語処理技術(トピック分類とセンチメント分析の組み合わせ)を活用し、従業員が暗黙知として共有している企業文化の測定を試みました。簡単な検証ではありますが、「変革力が高い企業文化」と、「株価リターン」や「従業員の満足度」、「風通しの良さ」、「社員の士気」との関連性を示しました。「変革力が高い企業文化」以外にも「組織力が高い企業文化」など、さまざまな企業文化が存在するので今後の研究課題としたいと思っています。今後はこういったオルタナティブデータを活用した人的資本を定量的に評価する事例が増え、そこから得られた知見は、人的資本経営を実践する企業にとって重要な示唆となっていくでしょう。
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