金利のある世界の到来やプライベートアセットの普及、DBとDCの連携強化など、企業年金を取り巻く環境は転換点を迎えている。変化に対応するには鋭くも柔軟な発想で企業年金を洞察し、これからを見通す必要があるだろう。そこで、長きにわたって企業年金に携わり、8月よりかもめリサーチ&コンサルティング株式会社を立ち上げた木須 貴司氏から、企業年金の今後を考える上でのヒントとなる視点やアイデアなどについて寄稿いただく。
プログレスレポート2025の指摘
金融庁が公表した「資産運用サービスの高度化に向けたプログレスレポート2025」(以下、プログレスレポート2025)は今年も業界で広く注目されている。本稿では、第2章「確定拠出年金(企業型DC、iDeCo)サービスの高度化に向けて」で取り上げられた企業型DCに関する内容を考察したい。
まず、プログレスレポート2025が指摘した企業型DCに関する課題・問題を図表1に整理した。このレポートは表題の通り「資産運用サービスの高度化」を主題としており、運営管理機関(以下、運管)と記録関連運営管理機関(以下、RK)に関する事項が中心となっている。
図表1:プログレスレポート2025が指摘した企業型DCの課題

出所:金融庁(2025)「資産運用サービスの高度化に向けたプログレスレポート2025」(https://www.fsa.go.jp/policy/pjlamc/20250627/01.pdf)よりかもめリサーチ&コンサルティング作成
これらの指摘の中でも特に企業型DCのビジネス構造に注目したい。運営管理費の大半がRKへの手数料支払いに充てられており、加入者等が購入する運用商品から得られる信託報酬の一部で運管全体では、なんとか黒字になるという指摘だ。この事実自体は、DC関係者の中では以前から認識されていたが、裏付けのあるデータで提示された意義は大きい。筆者は、これが企業型DCの構造的課題の根源だと考える。
企業型DCの課題の本質~制度設計上の課題
なぜ、この問題が企業型DCの構造的課題の根源なのか?端的に言えば、「儲からなければ」、何もできないからだ。プログレスレポート2025では、投資教育や運用商品の入れ替え、指定運用方法の点検、RKのシステムなどの課題を指摘しているが、いずれも相応のコストがかかる。そしてコストをかけたからといって、リターンがあるとは言えないのが現状の企業型DCだ。
プログレスレポート2025では、「企業(事業主)と運営管理機関手数料について協議を行う場合(中略)必要な手数料水準を検討・提示していくことが期待される」と指摘している。つまり必要であれば、事業主に値上げを要請せよ、という提案である。しかし、それは現実には多くの場合、実現は容易ではない。事業主のDC担当者も予算があるわけではないからだ。もちろん、一部は加入者利益を優先し、追加負担に応じる可能性もある。しかしながら、企業型DC全体としては、事業主およびその経営者の関心は高いとは言えない状況にある。残念ながら。
また、加入者の現状の投資トレンドは、パッシブファンドが中心となっており、パッシブファンドの信託報酬の値下げ競争も止まらない。足元でインフレ率が上昇しており、元本確保型商品のみの運用は望ましくないが、投資教育を行っても加入者が選択するのは、信託報酬率が0.1%程度のパッシブファンドばかり。運管にとってはほとんど利益にならない。結果として金融機関内でDC部門は低収益部門、不採算部門と位置付けられ、モチベーションが向上しないとも聞く。
この企業型DCの構造問題の背景について、プログレスレポート2025は直接的には触れていない。レポートの賢明なる執筆者らは、本質的な問題を把握していたかもしれないが、制度自体に問題提起するレポートではない。加えて、DC法の所管省庁は厚生労働省である。
では本質的な要因は何か?筆者は「事業主の責任が軽すぎる」からではないかと考える。
事業主・運管・加入者の戦略行動と「悪い均衡」
詳細は割愛するが、3プレイヤー・ゲームモデル(ゲーム理論を応用)を構築すると、以下のことがわかる。
- 事業主(スポンサー)
加入者利益への責任・義務付けが低い場合、企業型DCへの低コミットメント戦略(極力関与せず、コスト引き下げを目指す戦略)を選択しやすい
- 運管
事業主が低コミットメント戦略をとる場合、サービス品質を高めても報われないため、サービスレベルが低下する
- 加入者
自ら運用を選択する効用が低いか、行動する心理コストが高い(運営管理機関のサービスが充実している場合は心理コストが低下)場合、元本確保型商品にとどまりやすい
現状は、事業主への加入者利益への責任・義務付けが低く、その結果として運営管理機関のサービスレベルが向上せず(投資行動の心理コストが相対的に高い)、元本確保型のみを選択する加入者や能動的に行動しない加入者が存在し続けるという悪い均衡状態にあると解釈できる。
2016年の改正DC法は、事業主に対して運営管理機関評価や継続投資教育を努力義務として課し、加入者利益の責任を強化した。しかし、運営管理機関評価については、DC広研のアンケート調査を見ると実施率は必ずしも高くなく、実施の方法についても課題が見られるケースがある(図表2参照)。これらの事業主の責任強化策は、実施しなくても直接的なペナルティ、コストが発生しないルールとなってしまっている。
対照的に、海外のDCスポンサーは、加入者からの損害賠償請求や監督当局からの厳格な監督を受けている。例えばオーストラリアの場合は、金融監督当局であるAPRA(Australian Prudential Regulation Authority)によるパフォーマンステストが行われている)おり、不十分な対応にはコストが伴う構造となっている。こうした仕組みが、制度を改善しようというインセンティブとして機能している。
図表2:運営管理機関評価の対応状況

出所:一般社団法人 確定拠出年金・調査広報研究所「第21回 企業型確定拠出年金制度に関する調査」(2024年9月)よりかもめリサーチ&コンサルティング作成
事業主のコミットメントを高めるための手段
では、日本でも不作為に対してペナルティを設けるべきだろうか?現実的には容易ではない。我が国の法体系は、英米のようなコモンローではなく、懲罰的損害賠償は認めていない。厳密な意味でのクラスアクションも認められていない。事業主の不作為が訴訟によって厳しく罰せられるという判例はおろか、裁判自体が起こりにくい状況にある。このため、日本の実情に即した緩やかな規律付けによるアプローチが望ましいのではないかと考える。
具体的には、事業主のコミットメントを高める方策として以下の2つを提案したい。
1. 総合型DCの普及促進: DBと同様に、DC規約数が過多となっている。中小企業では人事部門のような間接部門の人員自体が少数であり、DC担当者自体が配置されていないケースも少なくない。このような十分な体制を構築しにくいDCプランを統合して受託する総合型DCであれば、全体として事業主のコミットメント水準を向上させることができると考える。実際、オーストラリアではインダストリー(業界)ファンドと呼ばれる総合型ファンドが存在し、近年はファンド統合により規模を拡大している。運営体制が十分ではない事業主が総合型DCプランに移行するよう、政策的に誘導することが考えられる。また、複数事業主が加入する総合型DCに関するルール整備も必要となるだろう。
2. DCスポンサー・プリンシプルの策定:事業主(DCスポンサー)に対するハードローの導入が現実的でない場合、ソフトローで対応することが考えられる。「スチュワードシップ・コード」や「アセットオーナー・プリンシプル」と同様に、行動規範を示すのである。現状でもガイドラインや企業年金連合会によるハンドブックなどを提供しているが、それらよりも明確な指針として位置づけることが考えられる。そしてこのプリンシプルの基準に満たさないDCプランを総合型DCプランへの統合を促していくべきだろう。なお、参考にDCプラン・スポンサー・プリンシパルの草案を作成した(図表3参照)。
図表3:DCスポンサー・プリンシパルの例

出所:各種資料よりかもめリサーチ&コンサルティング作成
DC法における「自己責任」原則の再考
日本の企業型DC制度が事業主の責任を相対的に軽くし、運営管理機関に依存するような制度になっているのは、より多くの事業主が参入しやすいように配慮したためと考えられる。しかし、DC制度が定着した現在となっては責任の所在が不明確になっているという課題が生じている。プログレスレポート2025が指摘した問題は、特定の主体の責任というよりも、制度設計そのものに起因する部分があるのではないだろうか。
制度設計の観点から、もう一つ検討に値する論点がある。DCが公的年金と合わせて老後のための資産形成手段でありながらその具体的な運用手段を自己責任に委ねているという点である。DC法が自己責任による投資を原則としているため、我が国では投資教育により加入者の制度参加率を高める努力が継続して行われている。しかし、仮に投資教育が十分に実施されていたとしても、適切な投資行動をとらない加入者は一定数存在すると考えられる。教育の効果には個人差があり、また多忙などの理由で自身の投資に時間を割けない人も存在するためである。
すでに広く知られているように海外のDC制度のトレンドは、「自動加入・デフォルト化」が主流となっており、資産運用に関してもデフォルファンドによる運用が中心となっている。我が国のDC制度は後発組であり、他国の成功例を手本にできるはずである。しかし、現実はそうなっていないことに「もったいなさ」を筆者は感じる。